はじめに
昨日、第70回紅白歌合戦の出場者が発表され、美空ひばりさんの歌声を再現した「AI美空ひばり」が登場することが発表された。私としては、紅白歌合戦でそのような企画を行うこと自体は、遺族等の同意があるのであれば問題はないと思う(そして、NHKであればその点抜かりはないはずだ)。その企画で喜ぶ人や感動する人がいるのであるから、むしろ好ましい企画であるように思う人も多いかもしれない。
しかし、今回のNHKの美空ひばりさんという人格までもが復活するような演出については、違和感を覚えた。
NHKによる紅白歌合戦の説明について
NHKは、今回の企画につき、以下のように説明している。
美空ひばりさんが亡くなって30年…。
NHKは、世界で初めて壮大な夢の実現に挑戦しました。
AI(人工知能)で、国民的歌手・美空ひばりをよみがえらせたのです。
そして、「夢を歌おう」をテーマに掲げた最終年の今年、
第70回NHK紅白歌合戦に、「美空ひばり」が、帰ってきます。
歌うのは、秋元康氏が作詞・プロデュースした新曲「あれから」。
多くの国民が待ち望んでいた、その歌声、その姿が、NHKホールで復活します。
最新の技術でよみがえった、「AI美空ひばり」、
令和最初の紅白のステージが、“時空を超えた夢のシーン”をお届けします。
美空ひばりが紅白で、復活! | 第70回NHK紅白歌合戦
この説明に現れる、「よみがえらせた」「帰ってきます」「復活します」「よみがえった」という単語の数々。それは、あたかも亡くなった美空ひばりさんが、紅白歌合戦の舞台で生き返るかのような書き振りであるように、私は感じた。
「そう感じるのは、ナイーブすぎるのではないか。」そう思う方もおられるかもしれない。「美空ひばりさんが30年も昔に亡くなったことは公知の事実であって、美空ひばりさんの人格が復活するなどと真面目に考えている人などいない。最新の技術でよみがえった、『AI美空ひばり』というくだりは、それを前提とした上で、あえて「復活」というフィクションを楽しむよう語りかけているに過ぎないのではないか」と考えることもできるだろう。
しかし、企画全体を通して見た場合、明らかにNHKは美空ひばりさんの人格が「復活」するかのような演出をしているように感じた。
紅白の企画と美空ひばりさんの「復活」
先ほどのNHKの説明からすれば、今回の紅白の「美空ひばりさん」の「出演」は、美空ひばりさんの姿を再現したCGが、AIにより再現された美空ひばりさんの歌声に合わせて「歌う」というものになるだろう。実際、上記のNHKの記事には、以下のような美空ひばりさんのCGが大きく表示されている。
このような映像を見たとき、人はどのように感じるのだろうか。これについて考える時に参考になるのが、NHKの「AI美空ひばり」の復活コンサートについての番組である。このコンサートでも、上記のようなCGによる「歌唱」が行われた。これに関し、以下のような感想があった。
《AI美空ひばりを見て、涙がとまらない…》《凄かった! 本当に美空ひばりさんが新曲を歌っていた! この曲、欲しい!!やっぱりひばりさんは良いなぁ…》
AI美空ひばりの新曲披露に「涙がとまらない…」と感動の嵐 | 女性自身
なぜ、人々は「AI美空ひばり」に感動するのだろうか。それは、映像と歌声の組み合わせが、美空ひばりさんがそこにいる、美空ひばりさんという人格が復活したという感覚を惹起させるからではないだろうか。実際に、「本当に美空ひばりさんが新曲を歌っていた!」という感想は、そのことを表しているように思える。美空ひばりさんと関係ない人間の映像が、合成された美空ひばりさんの歌声で「歌った」としても、きっとここまでの感動を生まなかっただろう。
美空ひばりさんの「復活」の演出への違和感
以上のように、今回の紅白では美空ひばりさんが「復活」するかのような演出がなされることになるだろう。次に、なぜ私がそのことについて違和感を感じるのかについて述べたい。
私がなぜ違和感を感じるのかというと、上記のような演出が、故人の「意思」を勝手に作り上げるように感じるからだ。
例えば、現在活躍している「歌手A」のCGと歌声を作り、本人のあずかり知らないところで「AI歌手A」として「歌わせる」ことは十分に可能である。しかし、そのような映像を作って放送をすることについて、「歌手A」の意思を勝手に作り上げるものであるから、違和感を覚える人は多いだろう(この問題は、ディープフェイクの問題と繋がるものである)。しかし、少なくとも「AI美空ひばり」について違和感を感じる人はそこまで多くないように思える。
なぜ故人であれば、本人の許可がないにも関わらず、本人の人格が復活したかのような映像を作って放送をすることに違和感を覚えないのか。この理由について、本人が死んでいることが公知の事実であれば、映像が本人の意思を代弁しているものでないことは明らかであり、本人の意思は誤解され得ないからだと考えることは可能だろう。
けれども、人はそこまで理性的に受け止められるのだろうか。美空ひばりさんが復活したと感じてしまう、素直な心の動きを人は理性で止められるのだろうか。そのような純真な心を止められないからこそ、人は「AI美空ひばり」に感動するのではないか。
また、今回、「歌唱」という誰も傷つけない行為であるから問題が顕在化していないものの、故人が問題ある行動をしている映像を作成してしまう可能性がある。例えば、「AI美空ひばり」に差別的発言をさせてしまえば、美空ひばりさんの名誉を傷つけてしまうことなるだろう*1。問題ない行動と問題ある行動の境目は往々にしてグレーである以上、意図せずに故人の名誉を落としめたり、誰かを傷つけてしまう映像を作成してしまう可能性は否定できまい。
終わりに
私自身、今回の紅白の企画自体は遺族等の同意があると考えられる以上、問題ないと考えている。しかし、NHKの美空ひばりさんという人格が「復活」するような演出に、違和感を覚えたのも事実である。技術の進歩によって映像・音声の作成技術が向上している昨今だからこそ、故人かのような映像を作成することの是非については、広く議論すべき事柄なのかもしれない。
最後に、コンサートにおける「AI美空ひばり」の発言を引用して、本稿を終えることとしよう*2。
お久しぶりです、あなたのことをずっと見ていましたよ。頑張りましたね。さぁ、私の分までまだまだ頑張って