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2025年大阪・関西万博ロゴマーク感想

ロゴ情報

f:id:spaceplace:20200826231553j:plain:h200作: TEAM INARI

なお、このロゴは「コロシテくん」、「いのちの輝きくん」などの愛称でも呼ばれている。

感想

今、私はこの文章を未来に向けて書いている。

昨日、つまり2020年8月25日に、2025年大阪・関西万博ロゴマークが公表された。このロゴを初めて見た瞬間、そのインパクトの強さ、気持ち悪さに目が離せなくなった。それがたった1日しか経っていないにもかかわらず、どんどんと見慣れた愛着のあるデザインへと変貌している。きっと1週間、1ヶ月と時が経つにつれ、どんどんと自分はこのロゴを当たり前のものとして受容していくのだろう。とるに足らない日常の1ページとして、今の気持ちをさっぱりと忘れてしまうのだろう。そんな予感があるからこそ、今の気持ちをどこかに書き残したいと思い、私はこの文章を書いている。

初めてこのロゴを見た際の気持ち悪さは、ロゴの作者が想定した通りのものだっただろう。鮮血を思わせる赤、乱雑に増殖した細胞を表す円に埋め込まれたギョロリとした目の数々。これらは、私に紛う方なき異形のイメージを浮かび上がらせた。映画のマッドサイエンティストがそのマッドさを遺憾無く発揮し、血とタンパク質と恐怖を少々、お好みであたりに転がっている死体と一緒に出鱈目に捏ねくり回して作り上げた人工生物の様なデザイン。その歪さ、非対称性が奇奇怪怪さを加速させる。快と不快で分類するならば、0.1秒で不快に分類できるシンプルなデザインを、よくぞ作れた、よくぞ万博の公式のロゴにしたと逆に感銘を受けた。

このロゴが発表されてからのインターネットは大盛り上がりだった。私のツイッターのタイムラインにも、このロゴをモチーフとした作品が次々と襲来してきた。1つ、そしてまた1つ。コロシテくんが、様々な表現者によって調理されていく。それを私はぼんやりと見つめる。ほんの数時間前には考えもつかなかったロゴが、どんどんと私の頭の中を侵食していく。

このTwitterの賑わいを眺めて十何分か経って、私は岡本太郎太陽の塔の解説を思い返していた。万博のために建造された太陽の塔は、斬新な表現の前衛芸術であるにもかかわらず、国民の皆に愛された。これは前衛芸術としては類を見ないことであり、この事実が太陽の塔の凄さの一片を表している、というものだ。コロシテくんが人々の想像力を糧に人々に受け入れられていく様子を黙々とツイッターで眺めながら、太陽の塔もこうやって「よく分からない」、「不気味だ」などと言われながら人々の話題になり、次第に愛されていったのではないかと思った。こうやって、未来の万博と過去の万博に想いを馳せさせるという意味でも、今回のロゴは成功だったのだと思う。

一夜明け、私は再びいのちの輝きくんと対面している。不思議なことに、昨夜までいのちの輝きくんに纏わりついていた恐ろしさの一部は、本体から分裂してどこかへと逃げ出してしまったようだ。よくよく見れば、くりっとした目が可愛いではないか。個々のセルで見てみれば、意外と愛嬌のあるキャラクターではないか。不気味なはずのただのロゴに対して命の輝きと微かな愛愛しさを見出している自分。この1日での急展開に、私は私自身が分からなくなると共に、ロゴの製作者の力量に感服した。

そして思う。このロゴに対する印象は、これからどんどんと変容していくだろう。それこそ、生物が常に変化を続けながら生きていく様に。

未来に生きるあなた。今、あなたはこのロゴに対してどんな印象を抱いていますか?