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村上春樹「螢・納屋を焼く・その他の短編」感想

作品情報

螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)

螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)

 本作は、5つの作品が収められた短編集です。

 本稿では、その中でも「蛍」と「納屋を焼く」の2つについて感想を書いていきたいと思います。

評価

☆☆☆(最高評価は☆5つ)
※以下は作品のネタバレを含むので、注意してください。

ネタバレ感想

 まず、話の流れがノルウェイの森と似ているなと思ったら、本作を下敷きにノルウェイの森が書かれたそうですね。*1とは言っても、異なる部分はかなりありますが。

 本作を読んでいて思ったのが、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」(29頁)というのが本作のテーマだったのだということです。わざわざ太字で書かれている以上、そういうことなのでしょう。

 しかしながら、その一文が意味するところが何なのかは、難しいなと思いました。普通、生きている存在と死んでしまった肉体は切り離して考えますし、その方が自然のようにも思えます。

 その後の部分で、以下のように「僕」は考えます。

死は生の対極存在ではない。死は既に僕の中にあるのだ。そして僕はそれを忘れることなんてできないのだ。何故なら十七歳の五月の夜に友人を捉えた死は、僕もまた捉えていたのだ。(30頁)

 友人の死によって、自らも死すべき存在であることを自覚した「僕」。死は別世界の存在ではなく、誰しも内在しているもの。ふとした時に、何の訪れもなく、死は人を飲み込んでいく。そんなことを、ここの部分は表しているのかと思いました。

 でも、こう考えるのって怖いですよね。少なくとも、僕は自分が死を内在した存在であることを考えると怖くなります。どんなことをやろうが、何をしようが、死は別世界からではなく体の内側からやってくる。それは逃げようのない話で、ここで自分が何をやっても意味がないのではないかと、虚無感に陥りそうになります。

 でも、そう考えながら読んでいて救いだなと思ったのが、最後の螢のシーンです。僕が死にかけた蛍を瓶から出すと、螢は息絶えたように動かなかった後、光と共に飛び去っていきます。

 死が生の一部であるならば、生の美しさもまた死と連続している。死にかけた存在であっても、死にかけた者なりの生の輝きを持っている。その輝きは、他者の心の中へと残っていく。

 儚いけれど、綺麗ですね。

納屋を焼く

 本作は、色々な解釈がなされている作品で、主な解釈の1つとして、納屋は彼女を指し、納屋を焼くことは女を殺すことを意味するのだという解釈があります。*2

 それはそれで筋の通りそうな話ではありますね。彼が身近過ぎて気づかない女=主人公のガールフレンドを焼く=殺したからこそ、彼女は「僕」の目の前から消え去ったということです。

 しかしながら、そう考えると、わざわざ「彼」が「僕」に対して彼女が失踪したことを告げたりするとは思えません。また、その失踪を怪しませるようなことを告げるのも変でしょう。そう考えると、純粋に彼女は消えてしまったとしか考えようがないのではないでしょうか。

 それはさておき、納屋を焼くという部分が面白かったです。「僕」の周りでは納屋が燃えていないのに、彼は「僕」の家のすぐ近くの納屋を燃やしたと主張します。「あまりにも近すぎて、それで見落としちゃうんです」と言って。(77頁)

 現実世界では納屋が燃えていなくても、「僕」の心の中でちゃんと納屋は燃えているというのが面白いですよね。もしかすると、「彼」が焼いた納屋とは、主人公の心の中の納屋ではないかなと思いました。実際主人公は、納屋を焼くことを何度も考えていますしね。ただ、こう考えると「彼」が主人公の家を訪れて10日後に納屋を焼いたという発言の意味が分からなくなりますが。

 とらえどころのない、不思議な雰囲気を持った短編でしたね。

*1:螢 (村上春樹) - Wikipedia

*2:山根(田野) 由美恵「二つの「納屋を焼く」 : 同時存在の世界から「物語」へ」https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/2/29152/20141016170358298555/HiroshimaUniv-StudGradSchLett_69_v59.pdf