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村上春樹「一人称単数」感想

評価

☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)

※以下は作品のネタバレを含むので、注意してください。

ネタバレ感想

石のまくらに

「村上春樹さんって短歌も書けるんだ」という驚きが、本編を読んだときの最初の感想だった。短歌についてはど素人の私でも、本編に埋め込まれた歌のオリジナリティは分かる。

あなたと/わたしって遠いの/でしたっけ?
木星乗り継ぎ/でよかったかしら?(10頁)

最初から、ぶっ飛んでいる歌を出してくるなと思った。「木星乗り継ぎ」という印象的な言葉。その一言だけで、頭が宇宙へと飛び出していく。この「木星」が「品川」だったとしたらどうだろうか。言葉というものはかくも面白いと思った。

本編の物語それ自体は、そこまで記憶に残るものではなかったと思う。「彼女」についての生態、彼女との会話。そんなものは、本書を読み進めるうちにどんどんと消え去っていってしまった。しかし、本書を読み終えてしばらくたっても頭に残るのは、やはり、ひとかけらの言葉なのだと思った。

「人を好きになるというのはね、医療保険のきかない精神の病にかかったみたいなものなの」(15頁)

それでも、もし幸運に恵まれればということだが、ときとしていくつかの言葉が僕らのそばに残る。……しかしそのような辛抱強い言葉たちをこしらえて、あるいは見つけ出してあとに残すためには、人はとには自らの身を、自らの心を無条件に差し出さなくてはならない。(26頁)

私は、自らを無条件に差し出せているだろうか。言葉に対して真摯になれているだろうか。何か忘れ物をしているのではないかと感じたときの危機感が、心の中を滞留している。

クリーム

純朴な少年が騙されて、現実を見据えて、大人になる。疑うことを知らない少年としての精神をかたどる赤い小さな花束は、公園での出来事をきっかけに、置き去りにされる。ちょっとした不運な出来事は、人生のクリームにとって、なんにも関係のないことなんだと、慰めてくれるような短編だと感じた。

チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ/「ヤクルト・スワローズ詩集」

この2編は、対になっている作品だと思った。チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァでは、チャーリー・パーカーがボサノヴァをプレイしたことはないと明確に語られる。そのため、私個人も、これが本当に起きた出来事なのかどうかなんて、みじんも疑わなかった。

これに対して、「ヤクルト・スワローズ詩集」については、村上春樹という単語がでてきた瞬間に、この物語がフィクションなのか、ノンフィクションなのか、混乱の渦に叩き込まれる。

どちらも、やっていることはあまり変わらないのだと思う。フィクションの人物が、一人称で、フィクションを語っているだけ。しかし、その中で著者の名前が出てくるだけで、ここまで不思議な感覚が呼び覚まされる。非常に興味深い短編だと思った。

ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles

この作品は、難しい作品だと思った。様々な要素が出てくる中で、それらが何を意味するのか。それがつながってこない。

[設問・二度にわたる二人の出会いと会話は、彼らの人生のどのような要素を象徴的に示唆していたのでしょう?](132頁)

この設問に対して、答えなどあるのかと、必死に頭を巡らせる。しかし、「文学において比較的理にかなっていることが果たして美点であるのかどうか、そこには疑問の余地がある。」(106頁)という本編の言葉を読んで、そこまで深読みしても仕方がないのではないかとも思う。例えば、本編を、嫉妬に狂った彼女が自死した物語と(不正確に)要約したとして、そこにどこまでの意味があるのか。人生と同様に、この短編に(あるいは他の作品にも)答えなどないのだという気がしてくる。

謝肉祭(Carnaval)

これまた解釈が難しい作品だと思う。人間万事塞翁が馬というような。人は仮面と素顔を持っている、分裂している。その分裂が見えることで幸運を運んでくることもあれば、そうでないこともある。仮面の美しさ、素顔の醜さ、仮面の醜さ、素顔の美しさ。それがどう働くかもわからない、それが人生というような気がする作品だと思った。これが何を意味するのか、考え続けること。それが、人生のクリームになるのだと思いつつも、それはなかなか難しいとも思う。

品川猿の告白

おとぎ話のような作品だと思った。最後も、微妙に後味が悪い点が良い。

一人称単数

本短編集の中で、一二を争うくらい好きな作品である。過去に起きたこと/起きなかったこと。過去の無数の可能性が、現実を侵食していく感覚。おそらく、バーでであった彼女は、本当に「僕」のことを知っていたのではないかと思う。むしろ、本来の「僕」は、彼女が語るような人物なのではないかとも思う。一文一文が、重ね合わせの文字で書かれているような気がして、人生の幅広さを感じさせてくれるような作品だと思った。

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