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飯沢耕太郎監修「世界写真史」

作品情報

カラー版 世界写真史

カラー版 世界写真史

 本作は、草創期から20世紀末まで写真の歴史について取り扱った本です。写真の技術的側面よりも芸術的側面にフォーカスした書籍ですね。

評価

☆☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)

まとめ

 本作を読んでの自分なりの写真の歴史のまとめについて書いていきます。

写真の黎明期

 まず、写真の黎明期においては、写真機等の性能の向上が、写真の表現と密接に結びついていました。写真の撮れる場所がどんどんと広くなり、写真を撮るのがどんどんと簡単になるにつれて、写真の表現の幅も拡大していきます。また、被写体の選択や撮影方法についても少しずつバリエーションが増えていきます。

 しかしながら、芸術としての当初の写真は、絵画の手法にとらわれたものが多くありました。(絵画主義)

写真のモダニズムと写真の一般化

 それに対し反発した人々(写真分離派など)が現れ、写真独自の表現を追求されることになります。そうした結果、一定の派閥を形成しながら、様々な写真の流派が形成されていくことになります。(写真のモダニズム)

 第一次世界大戦が発生し「反・芸術」を謳う芸術運動であるダダが登場し、写真の分野ではフォトモンタージュなど、伝統的な写真概念を破壊するような作品が生まれます。ですが、「否定」を概念の中心とするダダは、ポジティブな力に欠けました。そのため、シュルレアリスムが登場します。また、同時期には構成主義や神即物主義といった流派が存在しました。

 さらに、印刷技術の発達によって写真が多くの人々に届けられることになります。そのため、フォトジャーナリズム、広告写真やファッション写真といったものが人気になっていきます。

現代写真

 現代に近づくと、一層表現が多彩になっていきます。第二次世界大戦後の写真は、絵画表現との融合や、主観的写真の運動、ニューカラーなどの運動から始まりました。

 そして、1980年代以降にはポストモダニズムが登場し、従来の芸術作品の作者・作品の権威の失墜が図られます。その中で、シミュレーショニズムなどの流派が登場します。また、数多くの表現が登場して流派に分類することが難しくなっていきます。

感想

 現在の視点から見れば、写真を撮るということは非常に簡単で何ら制限のないもののようにも思えます。スマホを起動してパチリと写真を撮る。その多くには複雑な思考など存在しないと考えがちです。あるいは、自分が思うがまま一眼レフで写真を撮るときには。

 しかしながら、時代をさかのぼってみれば、少なくとも美術作品としての写真には多くの制約がありました。当初は絵画主義のように絵画を美の基準としてそれに迫ろうとしていましたし、ポストモダニズム以前では写真という形式にとらわれていました。

 これらの制約が、写真のモダニズムポストモダニズムといった運動などによって、徐々になくなっていったということなのでしょう。

 ですが、現代においても、写真を撮るうえで何らかの制約はまだ残っているように思えます。例えば、写真の基本として、水平線をちゃんと水平に撮り、水平線を傾けた状態で撮らないということを学びます。これは、経験的に美しいとわかっている方法です。人間の脳そのものが時代によって変化するものでない以上は、このように人間の脳が美しいと思う写真の撮り方は一定数存在すると考えられます。

 しかしながら、このような方法すら、ある種の自由な表現方法の制約とも捉えられます。そう考えれば、何も考えずに、思うがままに撮ったとしても、実は見えない表現方法の制約の下で写真を撮っているとも言えるのです。ちょうど、写真の黎明期の人が絵画のような写真を撮ることに固執したように。

 このように考えると、「新しい」写真を撮るためには、全ての既存のルールや自分の撮り方を把握したうえで、常にそれからの脱却を図らないといけないという、他の芸術と同様に大変な営みということになるのでしょうね。