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2023年2月23日現在のAIに関する一般人の感想

はじめに

近年、AIの進化の速度は凄まじくなっていると、なんら技術的バックグラウンドを持たない一般人の私も感じるようになった。AI研究者の方であればさておき、一般人の私にとってみればChatGPTの登場は非常に衝撃的であり、AIに対する認識が変わったように思う。ただし、今現在私が抱いている感想も、AI技術の発展に伴い、すぐに変わってしまうことであろう。そこで、2023年2月23日現在のAIの技術の進展に関する一般人の感想を記載してみようと思った。

注:本記事の執筆には一切AIを利用しておりません。

ChatGPT登場前

ChatGPTの登場前、私はAIの進展に対してそこまですごいという認識を持っていたわけではなかった。

これまでの間、AI関係ではいろいろなことが進展してきた。将棋電王戦において将棋AIがプロの将棋棋士をやっつけ、プロにも勝てるようになった結果人間VS将棋AIの企画がなくなっていった。DeepMindが出てきて、AlphaGoを使って人間の囲碁のトップ棋士を打ち負かした。AlphaFoldでタンパク質の構造分析がなされるようになった。画像認識AIについては所与のものになってきて、FacebookやGoogle Photoの顔認識機能を便利に使っていたりする。しかし、これらについては自分の分野と離れているということもあり、はーすごいなと思ったものの、自分自身の価値が脅かされるというような実感はなかった。

思えば、昔から将棋プログラム、囲碁プラグラムというものはあり、(私がこれらが下手すぎるせいで)機械学習や強化学習など使わないプログラムであっても、私は一瞬で負けるような実力しかない。AIが出てきてもっと強くなったところで、私としては、めっちゃつよいプログラムがめっっっっっっっっちゃつよくなっただけのことであって、いずれにせよ私がこれらのプログラムと将棋や囲碁をしたら一瞬で負けるという事実に何ら変わりはない。また、AlphaFoldに関しては遠い分野過ぎて、なんか知らないけどすごい便利な分析ツールができたんだろうな、という感想しか抱けなかった(その程度の解像度しか持っていない。)。顔認識については、別に私自身も人の顔は認識できるし、それで威張られても、という感想であった。

次に出てきたDeepLには結構びっくりした。英語できない人よりかは正確な翻訳をすぐに出してくる。たまに誤訳なり文章の一部の訳し忘れはあるものの、すごく便利なやつだと感じた。ただし、翻訳という行為そのものについては、私が普段文学などを翻訳するわけではなく単なるビジネス上の文書を翻訳するだけであったこともあって、どちらかというと作業という認識しかなかったので、そこまで大きな衝撃はなかった。むしろ、自分が作業をする下地を作ってくれる便利な奴ができたという感想だった。

そんなこんなで、ChatGPT以前のAIについて、私は少し遠い世界のすごいやつorまだまだなやつというぐらいの認識しかなく、徐々に世界が便利になってきているなという実感しかなかった。NHKが、AIは神にも悪魔にもなるというようなことを言っていて、技術内容を理解せずになんかまた言ってるな、機械学習は基本的には学習データ自体に依存するわけだから、そんないきなり神や悪魔にはならんだろ、とつっこみを入れたくなった。

ChatGPT登場後

ChatGPTは、文章を書くことにアイデンティティーの一部を感じていた私にとって、大きな衝撃だった。ChatGPTがビジネスメールを書いたり、桃太郎の劇場版を書いたり、おすすめの旅行プランを紹介してくれたり。非常に衝撃的だった。私が有している、知性の一部とやらが脅かされていると感じた。少なくとも、対話という分野において、私はいらない、chat botでいいじゃんと言われる未来が訪れてくるような気がした。Twitterでは、人間のカウンセラーよりもChatGPTのほうがしっかり話を聞いてくれるといい始めたりする人が出てきており、人間を人間たらしめる知性とは何か、私が私であると主張し続けられる部分はどこにあるのかと、危機感を覚えるようになった。例えば、今いろいろなブログを書いているものの、AIが本気を出して様々な記事・ページを量産してしまえば、私のこのちっぽけなブログは津波に押し流される小石のように、どこかにいってしまうだろう。また、将来的に、私の仕事がAIにとってかわられるのではないか、と不安に覚えるようになった。

というように考えてみて、これは、もしかすると将棋や囲碁の棋士の方々が味わった衝撃の一端を、遅れて私も味わっているということではないかという気持ちがしてきた。命を懸けて将棋や囲碁に取り組んでいる人たちにとって、自分よりも強い将棋や囲碁プログラムが出てきたというのは、アイデンティティーの一部を失わせるような出来事だっただろう。しかし、現状、将棋や囲碁の棋士たちは、AIを活用し、新たな次元を切り開いているように思う。確か、囲碁に関しては、AlphaGoよりも現在の棋士のほうが強くなったという記事を見た気がする。また、そうでなくとも、人間は、人間同士の戦いが好きだからこそ、今も将棋や囲碁の棋士たちの戦いが人気なのではないかと思う。特に、藤井五冠と羽生九段との王将戦の盛り上がり(現在は2勝2敗のタイであり、羽生九段がタイトル獲得100期を目指す天才VS天才の戦いは、普段将棋に関心を持たない私のような一般人をも巻き込んだ人気が出ている。)を見ると、そんな気がしてくる。とすれば、将来的にも、人間が書いた記事の少なくとも一部は、人間が書いたという一事をもって、重宝されることがあるのではないか。そうあってくれるといいなと、ブログ記事を書く一般人としては思うのである。

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