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中山淳雄「推しエコノミー」感想

作品情報

評価

☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)

感想

本書は、エンタメについての様々な分析が載っており、非常に興味深かった。人々の可処分時間を奪い合うエンターテイメント、効率よく全世界で儲けるためのシステムを構築する巨大資本、それらとは異なった方向を見据える日本資本。その中でも、何よりも面白かったのが、ゲーム、アニメ、漫画といった傍流とも思われていた存在が、主流へといつの間にか切り替わっていたという点だった。

私の記憶が残る一昔前。いわゆる「オタク」的なコンテンツの地位は低かったように思う。かつて、ゲーム、アニメ、漫画は主に子供のためか、あるいは一部の「オタク」と呼ばれる人たちのためであるといった雰囲気があったように思う。「オタク」であることを開示するということは、同好の士を見つけるために有益な行為であると同時に、自らの地位を下げかねないリスキーな行為であったように思う。

それがいつの間にか、時代が切り替わっていた。本書が鮮やかに描き出しているように、ゲーム、アニメ、漫画といったサブカルチャーは、特定の人だけではなく様々な人に広がるようになり、一定程度「オタク」であることは広く受け入れられるようになり、むしろその人のアイデンティティーを表すものへと変貌を遂げた。従来、例えば読売巨人軍のファンが、そのこと自体によって自我の一部を確立しているのと同様に、「推し」こそがアイデンティティーの一部であり自己表現であるというような人が、増えてきている、ということなのだろう。

また、「推し」がアイデンティティーの一部を成すと同時に、推しを見つけるためのコンテンツにコスパを求める人の話も面白かった。可処分時間が限られている中で多量のコンテンツを浴びさせられている人々は、安心してハマれるようなコスパの良いコンテンツを探している。コンテンツの消費を目的とするのではなく、他の人と一緒に盛り上がれるような、継続して嵌れそうなコンテンツに優先的に時間を割く。

コンテンツは、単に自分が楽しむだけの道具ではない。自らを発信する手段であり、人と繋がるためのツールなのだ。このようなコンテンツの位置づけの変動を見ていくと、仮に将来AIでオーダーメイドの小説、漫画といった特定個人の満足度を最大化するような物語ができたとしても、それがあまり流行らないであろうことが推測できる。誰かと繋がれないコンテンツは、本書の主張を前提とすれば、その価値の一部をすでに欠損しているのであるから。仮に、自由自在にコンテンツを作ることができるAIが開発されたとしても、それは特定個人ではなく、一般大衆向けの物語ということになるのではなないだろうか。多くの人々が、誰かと共有して自らを表現し、自己承認欲求を満たせるような「推し」を求めているのだから。

※なお、本書のGoogleサジェストとして「推しエコノミー 要約」が表示されていて笑ってしまった。本書の読書体験すらコスパを求める人々の存在が、人々がコンテンツにコスパを求めるようになっているという主張をまさに裏付けているように思う。

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