作品情報
- 作者: 綿矢りさ
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2013/12/04
- メディア: 文庫
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本短編集は、「かわいそうだね?」「亜美ちゃんは美人」の2作を収録しています。
評価
☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)
※以下は作品のネタバレを含むので、注意してください。
ネタバレ感想
「かわいそう?」な「私」とそれからの解放
本作は、「私」が勘違いを続けるという点で「かわいそう?」な作品でした。「私」は、隆大が人助けという信念からアキヨを家に泊めているであって仕方のないことだと勘違いしました。それは、隆大の家でアキヨのことを「かわいそう」と思ってから、一層加速していきます。「かわいそう」と思って元カノを彼氏の家に泊めることを認めるのは、はたからみれば現実逃避やある種の自己正当化としか思えなくとも、本人としては心の底からそう思ったのだと信じています。
そんな勘違いの滑稽さ、あるいは「私」の「かわいそうさ?」が顕著に表れているのが、「私」が英会話の先生たちとアキヨについて会話するシーンです。このシーン、メリッサの英語の発言うち、一部の訳が意図的に誤魔化されています。
Living with with an ex is out of the question. They're definitely hooking up. (エックスといっしょに住むなんて問題外。彼らはフッキングアップしているにちがいない) (98頁)
これを正確に訳すと、「元カノといっしょに住むなんて問題外。彼らはやってるにちがいない」となります。結局、「私」が相談した職場の同僚の綾羽と同じことを言っている訳ですね。それを西洋的だリベラルだ隣人愛だ美しいだなんだと勘違いして、隆大がアキヨを泊めさせることが問題ないと思い込みます。これは、滑稽でもあり、「かわいそう?」とも思えますね。
でも、この物語を読みながら、隆大が人助けの信念から元カノを泊めた訳ないやんけと思います。結局隆大の気持ちがアキヨから離れていようがいまいが、隆大とアキヨが元カノ元彼の関係性にあることには間違いない訳です。それでも、アキヨを切らずに家に泊め続けているのは単に隆大が優柔不断でええかっこしいのくだらないやつだからではないかと思います。隆大にアキヨと「私」の二股をかける意図がなくアキヨを泊めているあたりが、一層タチが悪いです。結局こいつは一方を切り捨てて一方を守る決断ができず、ズルズルと引き伸ばした挙句「私」とアキヨの両方を傷つけるだけのクズやんけと読みながら思った次第です。
でも、本作の救いは、そんな隆大に対して「私」が本心からぶつかっていくことができたことですね。本作を読みながら、アキヨの勘違いに対して「かわいそうだね」と思いつつ、隆大の行動に対してイライラを積み重ねた後に読んだアキヨが感情を爆発させるシーンは、とても爽快でした。不快感が溜まっていたからこそ、それが解放された時のカタルシスはたまりませんでしたね。
そんなこんなで、心を押し殺したかわいそうな「私」が、見事、本心のままに隆大とコミュニケーションをとることができたのでした。めでたしめでたし。
「かわいそう」は醜い?
さて、本作を読んでいて一番疑問に思ったのは、「かわいそう」という単語が本当に醜い単語なのか、ということです。
「私」は、「かわいそう」という単語について、以下のように考えています。
相手を憐れんでから発動する同情心は、やはりどこか醜い。みんなもっと深い慈愛を他人に求めているし、自分にも深い慈愛が目覚める可能性を信じている。困っている人はいても、かわいそうな人なんて一人もいない。(153頁)
美しく深い慈愛と対比される、「かわいそうだね」と思う醜い哀れみからの同情心。果たしてそれは醜いものなのでしょうか。
「かわいそう」という単語を辞書で調べると、以下のような意味になります。
弱い立場にあるものに対して同情を寄せ、その不幸な状況から救ってやりたいと思うさま。同情をさそうさま。
可哀想(かわいそう)の意味や漢字 Weblio辞書
本作で言えば、アキヨは別に自分が不幸な状況にいると思っていません。かわいそうだと思っていません。そんなアキヨに対して、勝手に哀れみの気持ちを抱いて自分の心を押し殺すことを、醜いとラベリングすること自体は「私」に賛成です。そして、心からの慈愛で隆大がアキヨ を泊めることを認めたのであれば、それこそ美しく、何も問題はないとも思います。
しかしながら、世間一般の「かわいそう」について、醜いとまでは言えないのではないかと思います。例えば、被災者など、客観的に不幸な状況に居る人がいて、その人自身が自らをかわいそうだと考えていた場合に、他の人たちがその人を「かわいそう」だと思って手を差し伸べることが、醜いとまでは思いません。「かわいそう」という心が、全くの慈愛に比べて、相対的に醜いことには疑いがないでしょう。しかしながら、それが人助けやそれに基づく不幸な人の幸福へと繋がるのであれば、絶対的には美しいのではないかと思いました。
「かわいそうだね?」というタイトルについて
閑話休題。本作のタイトルの「かわいそうだね?」は、「私」がアキヨに対して抱いた感情を表していると考えられます。そして、「かわいそうだね ?」とわざわざ疑問系にしているのは、「私」がこの世にかわいそうな人が一人もいないと考えている以上、「私」はアキヨがかわいそうであることに対して疑義の念を抱いているからでしょうね。
また、「かわいそうだね?」は、隆大やアキヨに振り回されている「私」を表しているとも考えられます。しかしながら、本心を伝えられて「しゃーない」と割り切った「私」自身がかわいそうであるという考えは、至極疑わしいですね。