作品情報
- 作者: 円城塔
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/01/15
- メディア: 文庫
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本記事では、「道化師の蝶」について感想を書いていきます。
評価
☆☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)
※以下は作品のネタバレを含むので、注意してください。
ネタバレ感想
本作は分からないから面白い
普通は、物語の内容が分かるから面白いのであって、話の筋が良く分からない小説を読んだとしても、消化不良のまま終わって不満に思うということは多々あります。
ただ、物事には例外がつきもので、それが円城塔さんの物語になると、物語の内容がよく分からない「から」面白い、と僕は思っています。逆に、円城塔さんの物語でやつがしらのようにシンプルなものを読むと、少し物足りなくなってしまう昨今です。
そんな円城塔さんの作品の中で、良く分からない「から」面白いという作品の極北が、この「道化師の蝶」という作品だと思います。
分からないからこそ、ずっと物語について考える。その作業が楽しいのです。
本書の分からなさについて
では、物語の内容について感想を書いていきます。
本作は、そもそも幅広い解釈を許す作品であると思います。本作の途中で、「友幸友幸に関する事実は、一事が万事このとおりであり、仮説と対抗仮説が入り乱れて確定し難い」(39頁)との記載がありましたが、友幸友幸に関する物語である本作も、まさに確定し難い物語であると感じました。
様々な人の感想記事を読んでも千差万別であったことも、これを裏付けています。
また、本作には以下のような記載があります。
「筋道がよくわかりませんが」
「まあそうだろう。わかるようにできていないのだから当然だ。(中略)わたしに分からない以上、地上にわかる者はいないと思うよ」(85頁)
この部分は、本作自体の筋道がわからないということを示唆しているように感じました。
僕の解釈
しかしながら、これで感想を終わってしまっては面白くないので、僕個人の解釈を書いていきたいと思います。
まず、Iは『猫の下で読むに限る』のほぼ全訳です(25頁)。本作は、もともと無活用ラテン語という「死語から生まれたさらなる死語」で書かれており、「追跡者を死語の世界へと誘う呪い」を含んでいます。(28頁)そして、本作はIIの著者(以下『わたし』とします。)により日本語に翻訳されています。エイブラムス氏が男という点については改変を加えながら。
次に、IIは『わたし』が書き、IVでA・A・エイブラムス私設記念館にいる友幸友幸に渡されるレポートの一部分です。そのレポートは一要素としてしてIの『猫の下で読むに限る』を含んでいます。
IIIも、『わたし』が書いた同じレポートの一部分で、友幸友幸が自らについて語った文章と見せかけた『わたし』が書いたお話です。このことは、IVで記念館にレポートを渡す際に、『わたし』が「わたしが書いた方のお話はその封筒の中にある」(72頁)と言ったことからわかります。IIIにおいて、友幸友幸が将来作った網をエイブラムス氏が持っていること(55-56頁)は、『猫の下で読むに限る』に基づいて『わたし』が書いた物語だからです。
そして、IVが『わたし』がレポートを書きあげ、A・A・エイブラムス私設記念館にそのレポートを渡しに行くまでの話になります。
Vは、主人公を友幸友幸とした唯一の文章です。友幸友幸が残したものが集められているA・A・エイブラムス私設記念館のことを、「わたしの仕事の集積地」(74頁)と読んでいることからわかります。
そして、友幸友幸は、『わたし』が書いた『猫の下で読むに限る』の翻訳を含むレポートを読みました。そこで、自分自身を探し求める追跡者である友幸友幸は、『猫の下で読むに限る』という本が有していた「追跡者を死語の世界へと誘う呪い」によって、無活用ラテン語という「死語の世界」へといざなわれます。(79頁)「死語の世界」である以上、言葉は失われており、そこで話すことはできません。(80頁)
そこで出会ったのが、連語間を飛び越えることができる「鱗翅目の研究者」です。IIの冒頭の「さてこそ」から86頁の「さてこそ」までの連語の扉をくぐってくることができました。そして、「鱗翅目の研究者」はエイブラムス氏から蝶である「わたし」を解放することに成功しました。そして、「蝶であるわたし」は、「過去と未来を否定して飛」び、(89頁)友幸友幸に『猫の下で読むに限る』に関する着想を生むのでした。
ですが、こう考えると、なぜ『猫の下で読むに限る』というフィクションの存在である「鱗翅目の研究者」が、現世の存在である友幸友幸と触れ合うことができたのでしょうか。それは、I-Vが全て円城塔さんによる虚構の物語だからです
そして、Iより前の序文は、円城塔さんによる本書の謝辞にあたります。そして、本書を書き終えてしまった以上、「網の交点が一体誰を指し示すのか、わたしに指定する術はもうない」ということになります。(9頁)
さてこそ以上。本作品について詳細な考察を書いてみたところで、この物語をうまく整理できた感触はありません。素手で道化師の蝶を捕まえようとするがごとく、この物語を捕らえることはできませんでした。
でも、それでこそ、この作品は面白く、私の心の中の一角を占め続けるのです。
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