作品情報
監督:ウィリアム・フリードキン
評価
☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)
※以下は作品のネタバレを含むので、注意してください。
ネタバレ感想
本作は、悪魔はいるが神はいないという作品の雰囲気がなんとも恐ろしい作品だった。
大抵の作品において、悪魔は神と対置される。超越的なことが起こらない世界観ではそもそも神も悪魔も存在しないし、悪魔が人々を恐怖に陥れる際には、神による救いがある。本作も、キリスト教によってリーガンが救われるものとばかり思っていた。途中までは。
しかしながら、本作では神はその姿を一切現わさない。散々と悪魔が超常現象を起こし、人格を変え、ベットを空に浮かし、人を殺す。そんなことを何度行っても、一向に神の御業は訪れない。悪魔祓いの儀式を行っているメリンとカラスの言葉が滑稽に思えてしまうほどに、キリスト教の言葉は大した効果をもたらさない。悪魔に対し効力を有しているように見える聖水さえ、水道水と同じような効果しかもたらさない。
最後の最後に悪魔を退けたのも、カラスによる挑発とカラスの意思の強さ、そして自死だった。本作のどこからどこまで神はいない。そして、このような信仰に疑念を投げかけるようなストーリーラインが、本作を何よりも恐ろしくしているように感じた。悪魔が存在するような非科学的と言っても良い世界ですらも、神は存在しない。そのことが、宗教とは何か、信仰とは何か、神に身をささげるということは何かを考えさせるような気がしてくる。
少し視点を変えてみよう。私は無神論者であって、特に神は存在しないと考えてはいるものの、世界に神がいないとの確信も持っていない。そもそも、奇跡などというものは、科学的見地から説明できないからこその奇跡であり、神の不存在は原理的に証明しえないものと考えている。したがって、神を信じる人々の話を聞いても、そのような世界観はあり得るものだなと思うにとどまり、その考え方を否定しようとも否定できるとも思っていない。
しかしながら、本作を観て不思議に思うのは、様々な宗教に悪魔は存在していても、それらは神とセットとなっていることだ。論理的に考えれば、神だけが存在する世界観があり得るのと同程度に、本作のように悪魔だけが存在する世界観があってしかるべきであるようにも思われる。人を陥れる存在だけが在り、人を救うものはいない。そのような世界観が一般的でないことそのものが、宗教に対しある種の疑念を投げかけるのだ、そしてそれが本当に恐ろしいことなのだと本作を観ていて思った。