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東京国立博物館「ポンペイ展」感想

展示情報

www.tnm.jp

感想

ポンペイ展を見に行って、私は少し途方に暮れてしまった。ポンペイ展で描き出されていたのは、今から2000年近くも昔に、人々の文化的ながそこにあったという事実である。今の技術レベルと比べても遜色ないような壁画、食器、家具等の数々。また、看板や炭化したパン等から通じる食生活。猛犬注意とでも言っているかのような看板。これらは、今の時代の我々にとって理解できないものではなく、むしろ親しみのあるものだ。このような展示の1つ1つを見ながら、昔のポンペイの人々の生活を想像するに、少し怖くなってしまった。

ポンペイに生きていた人々は、我々と対して違いはないのではないか。倫理観等で違う部分はあれど、何を美しいと思うかという観点や、教養を大事にするという点等など、今の我々と大きく違いはないように思う。しかし、そんな彼らもとうの昔に滅んでしまって、どこに誰がいたのかということもぼんやりとしか伝わってこない。

そこで、敷衍してしまう。かつての彼らと現代の我々。これだけ文化的であった彼らも滅びという運命からは逃れられなかった。当たり前のように死は彼らの元に訪れ、それから現代に至るまでの数多の生命を飲み込んできた。そして、現代に生きる我々もきっと、皆は死んでしまい、数千年経つうちに、いやもっとそれよりも早い段階で風化していき、誰からも忘れ去られてしまう。そんな我々の運命を、ポンペイ展は示唆するようなものであった。特に、AIが進歩していくこれからの時代、コンテンツは莫大な量となっていくだろう。その中で、今に生きる我々のデータなどは、すぐに埋もれてしまうのではないか。今から100年後には、今書いているこの文章を含め、数多の記録は消え去ってしまっているだろうし、消え去っていなかったとしても、数えきれない0と1の組み合わせの中に埋没しているだろう。所詮、我々の生命は、我々の生き様は、ただ春の夜の夢のごとしであろう。

それでも、思わずにはいられない。例えば、2000年後、自らの焼いたパンが炭化した状態で東洋の地に運ばれて数多くの人に注目され、果てにはクッションにまでなるという類の奇跡が、我々にも起こっても良いのではないか。今から2000年後、この記事が解説文とともに未来の人々に読まれる幸せな想像を膨らませながら、本稿を終えさせていただこうと思う。