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小川一水「フリーランチの時代」ー『人』とは何かを問いかける作品集

作品情報

フリーランチの時代 (ハヤカワ文庫JA)

フリーランチの時代 (ハヤカワ文庫JA)

 なお、本作の「アルワラの潮の音」という短編は、時砂の王のスピンオフの作品です。同作を読んでいなくとも楽しめる一作ですが、可能ならば時砂の王もお読みになる事をお勧めします。

時砂の王

時砂の王

 同書は小川一水さんの作品の中でも、トップクラスに好きな作品の1つです。

評価

☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)


※以下は本作のネタバレを含むので、注意してください。

ネタバレ感想

 以下では、「フリーランチの時代」「Live me ME」「アルワラの潮の音」について感想を書いて行きます。

フリーランチの時代

 本作は、自己の同一性について考えさせられるお話でしたね。本作のストーリーに入る前に、自己の同一性について、スワンプマンの思考実験を参照しながら少し考えてみましょう。

 ドナルド・デイヴィッドソンが考案したスワンプマンの思考実験は、以下のようなものです。

 ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然 雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。
 この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造を呈しており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態(落雷によって死んだ男の生前の脳の状態)も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一であるように見える
スワンプマン - Wikipedia

 この思考実験の核心は、果たして死んだ男とスワンプマンは同一人物なのだろうかという部分にあります。人間の物質的構造が一緒なら同一人物だと考えるなら、両者は同一人物です。しかし、スワンプマンが死んだ男と同一の経験をしてこなかった事を重視すれば、両者は別の存在だと考える事もできます。この問いについて、皆さんはどうお考えになりますか?

 それはさておき、本作の話に戻ると、本作はこの思考実験を一歩進めたものだとも考えられます。三奈は「光学顕微鏡」「より下の部品」が宇宙人のミナによって全部入れ替えられた存在となってしまいました(14頁)。しかも、また、三奈の脳シナプス結線の再現は、ミナにとって「自信がない」ものでした。これらを考えれば、スワンプマンの思考実験でどのような立場を取ろうと、体の構造が異なる以上いくら考えていることが同じように見えても、死ぬ前の三奈と復活した三奈は別人のようにも思えます。

 以上のような議論を踏まえて面白いなと思ったのは、自己の同一性や人間とは何かという高尚な哲学的議論よりも、人間は単純な欲求の方が気になりそうだぞ、ということです。克己は、その議論よりも食事や体系を気にします。武田はその議論よりも性欲を気にします。仙石はその議論よりも使命を気にします。

 案外、人間とは何かという問よりも、目の前の問題に人間は囚われて、どんどん自己を改変するようになっていくのかもしれませんね。

Live me Me 

 こちらも、人間とは何かを問いかける作品でしたね。どこからどこまでが人間なのかという。脳が生きていれば人間なのか、脳死でもシンセットを使っていれば人間なのか、あるいはマクロでできた計算も人間と呼べるのか。地震後「私」の肉体と分離した単なるコンピュータの計算を人間とみなす事は難しそうですが、どこまでの「私」は単なる計算ではなく人間だったのでしょうか。

 肉体の脳と繋がっている事自体は、脳がシンセットの活動を動かしていた事を保証しません。なぜなら、脳がなくても完全に行動できるようにマクロが組まれていた訳ですから、地震の直前には脳の活動の全てをコンピュータが代替していた可能性があります。このコンピュータが脳を完全に代替した時点では、少なくとも私が人間でないと言えるならば、どの段階で私は人間でなくなったと言えるのでしょうか。マクロの搭載による本作の「私」の変化は、徐々に起こったものであって、「私」がどの時点で人間だったかを決める事は難しいのではないかと感じました。

アルワラの潮の音

 時砂の王のスピンオフである本作は、同作同様切ない雰囲気を持った作品でしたね。

 人を食い物にする化物を生み出したのが、まさかラヴカであったとは。アウェネー族に対する恨みから、同じ島の人間を殺すというやってはならない事に手を出してしまいます。その段階でのラヴカは、もはや自暴自棄になってどうしようもない状況まで追い込まれていたのでしょうね。

 それにしても、ET側の柔軟性には目をみはるものがありますね。鉱物を利用するだけでなく、人間までをも自らの増殖の糧にするとは......これほどの柔軟性を有し強大なET群に対して、何度も何度も戦い続けたメッセンジャーたちの献身は、言葉に表せないほどのものだったと感じました。

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