ついこの間、とあるガラス工房に行って初めて吹きガラス体験を行ってきた。
そのガラス工房は、閑静な住宅街にあった。見渡す限り家しかない街の一角に、鬱蒼と茂る木々に囲まれたガラス工房があったのは、少し奇妙ですらあった。
「こんにちは」とガラス工房の入り口で出迎えてくれたのは、にこやかな顔をした壮年の男性だった。がっしりとした上半身と半袖から突き出る筋張った太い腕が、彼がこのガラス工房の主人であることを如実に表していた。
僕は彼に招かれるようにして、ガラス工房の中に入る。ガラス工房自体は10畳程度で、長方形の形をしていた建物だった。その建物の中には吹きガラス用の棒やら工具やらが、所狭しと置かれていて、入り口と反対側の長辺の中央部に、こじんまりとしたかまくらのようなものがあった。これがガラスを溶かす炉なのかと僕は推測した。
先生から作りたいものを聞かれ、僕はグラスを作りたいと告げる。吹きガラス体験ではグラスあたりを作るのが一般的だと、あらかじめ予習していたからだ。それに、ガラスのグラスってなんだか響きが良い。
先生は気を使って、他にもオプションを提示してくれたが、結局ガラスのグラスを作ることにした。
グラスに色を付けてみるかと、先生は問い、色付きのガラスの粉末が入った瓶を僕に指し示す。赤青黄色などなど。クレヨンにありそうな色は大体揃っていたが、その中でも青を選択した。その青は、ペルシアンブルーのような深みのある青色だった。これにするんだなと言った先生は、差し色ならこれだなと、青色に加え水色と紫色の瓶も取り出す。
それでは始めますかと、先生は僕をさきほどのかまくらの前へと連れて行く。この炉の中に溶けたガラスが入っているのだと説明して、先生は炉に付いた扉を開ける。
開けた瞬間、まるで扉が開くのを今か今かと待っていたかのように、勢いよく熱気が飛び出してくる。非常に暑い。少し肌寒い季節であったのに、先生が半袖でいたことに合点がいった。ガラスが溶けるほどの熱が炉の中に閉じ込められているのだ。そりゃあ熱いに決まっている。炉の中は真っ赤で、どこにガラスがあるのかも分かりはしなかった。
ではガラスを取り出してみようかと、先生は僕に言いながら、立てかけられているたくさんの金属の棒から一本を手に取った。長い。その棒は少なくとも1.5mはあっただろう。そして、どうやってガラスを取り出すのかを実際にやって見せてくれた。棒を炉の中に入れて、水あめのようにガラスをくっつけた。
先生は今度は別の棒を取り出して僕に棒を渡すと、持ってみなと言った。先生を真似して僕はその棒を水平に構える。なるべく端を持たないと危ないと、先生は僕に指導する。
先生にサポートしてもらいながら、僕は炉に棒を入れる。割と強く棒を突き刺す。棒を回転させるようにと先生は僕に言い、その言の通り棒を回転させると、巻き取るような形で真っ赤なガラスが棒に付着した。
何やらガラスで何かを作るためには、常に棒を回さなくてはならないらしい。先生の話を聞きながらも、僕は棒を回す。
くるくる、くるくる。
棒を一旦外に出し、付着したガラスが冷えてきた段階で、より一層のガラスを巻き取るために、もう一度棒を炉の中に入れる。
くるくる、くるくる。
次に、先ほどの色付きのガラスを付けるぞと、先生は僕に言い、近くの机を指し示す。そこには、先ほどの青が、星屑のように散らばっていた。
くるくる、くるくる。
棒を炉から取り出して、ガラスに色付きガラスをくっつける。その間に、赤いガラスが冷めていきどんどん透明になっていく。そして、先生の言う通りに、今度は小型の炉に入れる。
くるくる、くるくる。
今度は青色のガラスも含めて真っ赤になる。溶けたガラスが垂れてきそうになるので、僕は慌てて棒の回転スピードを上げる。
くるくる、くるくる。
そこで代わるよと言った先生に、僕は棒を渡す。
さきほどまでしだれかかっていたガラスが、適切な角度と回転数によって、とたんにまっすぐとなって元の形を取り戻す。ついさっきまで、自分がコントロールしていたガラスとはとても思えない。
先生が再び棒を僕に渡し、ガラスの中に空気を入れるように僕に言った。棒の先っぽをよく見ると、穴が開いている。そういえば、今回は吹きガラス体験だったなと思い出し、棒の先をくわえて息を吹き込む。
くるくる、くるくる。
全然息が入らない。風船を膨らます時に、最初はなかなか膨らまないのと似ていた。お腹に力を入れて、体の奥から無理やり空気を押し出す。OK、膨らんだなと先生は言う。僕にはどれくらい膨らんだか判別がつかなかった。
先生はガラスを炉に入れる。心なしか、一層ガラスが膨らんだように見えた。炉の中で温められた空気が膨張するから膨らむんだとと先生は僕に説明する。なるほどと思った。
棒を手渡された僕は、最初の炉でガラスを付けるようにとの指示に従い、ガラスの棒を最初の炉に入れる。今度は一人で。
くるくる、くるくる。
しかし、うまくガラスを付けることができず、結局先生に助けてもらった。
くるくる、くるくる。
先生は、今度は机の上の水色と紫を示し、ガラスに付けるように言った。
くるくる、くるくる。
僕は、水色と紫を急いでくっつけると、指示通り小型の炉の中に棒を入れる。
くるくる、くるくる。
僕のガラスは、やる気がないようだ。すぐに下へ下へと垂れたがる。段々と、コントロールが効かなくなってきた。今にも炉の中に落ちてしまうようで、僕は焦るが、焦ったところでどうにもならないのだ。
そんな時、先生は借りるよと言って、僕から棒を取り上げると、タイミングを計るかのように回し続ける。おや、と僕は思う。今度は、先生が回してもガラスが少し垂れているのである。
しかし、先生が炉からガラスを取り出し、机にこすりつけて形を整えているうちに、疑問が氷解する。要するに、形を整えるために、わざと垂れ気味にガラスを回していたらしい。
先生が僕に棒を手渡し、指示に従って空気を吹き込む。
くるくる、くるくる。
今度は簡単に膨らんだ。先生は、また棒を炉に入れて取り出すと、もう少し膨らまそうかと言い、僕は再び息を吹き込む。OKと言われた瞬間に、空気を入れるのをやめる。
ガラスを小型の炉に入れた後で、「次は絞りの工程です」と、先生は言う。棒の先端部分のガラスにくびれを作り、ガラスが冷えた後にそのくびれを割ることで、ガラスが棒から簡単に外れるようにするのだ。
先生は、和ばさみのようなものを僕に手渡し、それでガラスを挟むことで、ガラスを細く絞るように言う。僕は面食らった。力加減も分からなければ、どこを絞れば良いのかも、明確には分からない。先生は、ガラスが付いた棒を台に水平に乗せて、棒を回転させる。その台は、一人で棒を置いて回しながらガラスを絞れるようにできていた。
とりあえず、雰囲気で回転するガラスを挟む。しかし、力が不均一だったせいか、楕円状にしか絞れない。
その時だった。先生が棒の回転数を上げ下げし始めたのは。太いところはゆっくり、細いところは早く回転させる。それにより、僕ははさみのようなもので挟んでいただけなのに、すっかりガラスを円状に絞ることができた。
僕は舌を巻いた。先生のその技術力の高さに。遠目から見ながら棒を回転させるだけで、不均一に力を加える生徒の力を利用して、うまいことガラスを円形に絞るのだ。正直、そんなことをするよりも、先生が自分で棒を回しながら自分でガラスを絞る方が、よっぽど簡単だろう。
次に、先生がガラス工房の生徒に声をかけると、彼女は棒に少しだけ炉の中の溶けたガラスを付け、絞ったガラスの棒とは反対側に突き刺した。そこがグラスの底になるらしい。そして、棒ガラス棒という形で、ガラスが挟まれる。
先生は、あっさりガラスの絞って細くなった部分を割って片方の棒を取り外すと、底側の棒を手に取った。ガラスは、ちょうど円錐台の形になる。先が水平に切り取られた円錐の形と言い換えても良い。そして、先生は棒を再び小型の炉の中に入れる。
今度は、コップの口の部分を作りますと、先生は僕に言う。先ほど割られてぱっくり開いた部分を広げて口にするらしい。
再び、先生は棒を台に水平に乗せて、棒を回転させる。火ばさみのようなものを手渡された僕は、言われた通り、それをグラスの口となる部分に内側から当てる。恐る恐る。
口を広げる作業は、先ほどよりも繊細な作業のようで、なかなかうまくいかないようにも思えた。しかし、またもや先生が棒の回転数をうまいこと調節したおかげて、グラスの口は見事に底と同じ形大きさの円となった。
気が付けば、ウイスキーグラスの形が出来上がっていた。まるで魔法のようだ、とは使い古された言葉ではあるけれど、指示されるがままに動いてコップの形ができていく様は、魔法で体を操られていたかのようだった。実際は、先生が目立たぬよう、僕以外の要素を全てコントロールしていたことによるのだが。それはもしかすると、ファンタジーの登場人物が魔法で他人の体を操ってグラスを作るのよりも、難しい技術だったのかもしれない。
最後に、先生は棒を手に取って、グラスを棒から取り外す。そして、そのグラスを冷却用の箱の中に入れた。ガラスを冷やすのには時間がかかるようで、しばらく経ってから完成したグラスを取りに来るようにとのことだった。
そんなこんなで、僕の吹きガラス体験は、あっという間に終わった。体験を終えた僕の心にあったのは、グラスができた喜びよりもむしろ、先生の技術力に対する感嘆だった。おそらく、今日僕が気付かなかった以外にも、様々な技術を駆使して、今日のガラス体験を行っていたのだろう。また、今日僕が「作った」のは単純な形のグラスであったのだから、当然それ以外の作品を作れる先生は、他にもまだ見ぬ高い技術を有しているのだろう。まさに、計り知れない。
今まで何の気なしに見ていたガラス製品だったが、その認識を一変させるかのような、ガラス職人の技術力の高さに驚嘆した体験だった。