作品情報
- 作者: 小川一水
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2011/05/20
- メディア: 文庫
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※第三巻、アウレーリア一統の感想はこちら。
小川一水「天冥の標III アウレーリア一統」─男になった少年と全てを犠牲にした男の物語 - 本やらなんやらの感想置き場
評価
☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)
※以下は本作のネタバレを含むので、注意してください。
ネタバレ感想
僕が一番好きなSFシリーズで、すでに日本のSFを代表する作品群であるとの評価もある天冥の標。今回は、その第4巻である「機械じかけの子息たち」の感想を書いていきます。
本書の帯の時点で、だいぶ官能的ですよね。
肌が咽ぶ。
服は、着ないの。
ごめんね、恥ずかしいね。
さすがに全てこんな感じの内容ではないだろうと最初は思ってたのですが、読んでみたらだいたいそんな感じでびっくりしました。
話は変わりますが、本作には前作以上のパワーワードが出てきましたね。例えば、
無限階層増殖型支配型不老不死機械娼像
(ピラミッドスキーム・プロバケーティング・アンド・コントローリング・インモータル・セックスマシン)
とか。初見の人はこれを見て、なんじゃこりゃ、と思うでしょうね。
登場人物の対立構造
本作の主な登場人物たちは、見事に対立構造にあると思いました。
性欲にまみれ浅慮なキリアンと、不能で思慮深いロゴス。何もせずにキリアンから愛されるアウローラと愛されず嫉妬に狂うゲルトルッド。「混爾」を達成し愛し愛されるキリアンとアウローラ。対立するロゴスとゲルトルッド。
こんな相反する要素を大きな歯車としてかみ合わせられたロゴスは凄いですし、こんな相反する要素を全て抱え込んで良い部分を引き出せたからこそ、大工のロゴスは物語の終盤で<<恋人たち>>を主導することができるようになったのでしょうね。
<<恋人たち>>の始原
また、本作では、<<恋人たち>>の始原が語られたという意味で重要でしたね。
最初読んでいた時は、あまり前作までの登場人物出てこないなと思っていたのですが、ウルヴァーノが<<恋人たち>>を作った大師父だったという話が語られて、そこでお前が出てくるのか、と驚いた覚えがあります。
そんなウルヴァーノは、とてもかわいそうでしたよね。物語の途中で、ウルヴァーノについて語られるシーンがあります。「誰にも愛されず、誰も愛せなかった人生であることが明白の、寂しい最後だった」と。(本書437頁)
おそらく、ウルヴァーノは、自分のような寂しい人間たちを癒すために、<<恋人たち>>を作ったのではないでしょうか。「性愛の奉仕をもって人に喜ばれなさい」と<<恋人たち>>に告げて。その業が、思い悩み苦しむ<<恋人たち>>を通じて鮮やかに描写されたのが、本作だったと思います。
そんな<<恋人たち>>は今後どうなってしまうのでしょうか。それを表す伏線は、最後にあると思いました。
『混爾』は、哀れな<<恋人たち>>に授けられた、代替の神か。
それともこの概念には、まだ何か見極めるべき深みがあるのか。
われら、いまだ交わりを知らざるのか、否か。(520頁)
本作では、「混爾」について様々なことが語られています。「混爾」とは、「あなたと混じる」ことである。(259頁) 「混爾」とは「交わる二者が最良の到達をしたときに、つかの間現れて消えるもの」である。(262頁) 「混爾」とは、なんら代価を求めないものである。(500頁) 等々。
ここまで充分に「混爾」について語られているというのに、あえてロゴスに「この概念には、まだ何か見極めるべき深みがあるのか」と語らせたということは、これは「混爾」にはまだ深みがあるという伏線を表していると、僕は感じました。
分極対非分極の争い
本作を、より大きな構造で見てみると、分極対非分極の争いでもありました。分極側が<<恋人たち>>や<<酸素いらず>>、非分極側が『惑星伝統の管理者』、ロイズ非分極保険会社、マツダ・ヒューマノイド・デザイン社になります。
そして、分極側が性愛や身体改造について多様性をひた走るのに対し、非分極側は保守的で新しいものを禁じようとします。その中でも、最も人間にとって重要度が高いであろう性愛について、分極側非分極側の争いが書かれ、読者はこの当時の太陽系で行われていた争いの一端を知ることができるようになりました。
本作が終わった段階では、この分極対非分極の争いは、まだ何も解決していません。そしてこれは、本作以降でまた語られることになります。
本作でここまで性愛が描かれた理由
話は変わりましたが、本作はここまで性愛について語られたのでしょうか。初読の時は、なんでこんな妖艶な物語を書く必要があったのかと、少し疑問に思ったものです。あまり、天冥の標の大筋の物語とは関係がなさそうな気がしていたので。
<<恋人たち>>の出自を書き表すため、というのは少し表面的な見方だと僕は思います。そもそも、物語に登場する勢力を決める段階で、それぞれの勢力の何らかの説明を入れると言うことは決まっていたでしょうから、<<恋人たち>>という勢力を登場させる=性愛について語る、ということはあらかじめ予定されていたと思います。
では、その理由は何なのでしょうか。それを示唆するのが、以下の文だと僕は感じました。
匠にとってのセックスは、これだけのものを建造するに足る営みだったし、私たちにとってもそう。そしてキリアン、あなたにとってもそうだと信じるから、この話をしたのよ──人の多くがそれを忌み嫌っているとしても(259頁)
ウルヴァーノや<<恋人たち>>にとってセックスとは、巨大なハニカムを建造するに足る営みだった。これと同様に、小川一水さんにとって性愛とは、本作のような長編を書くに足る営みだったと。天冥の標の一冊を捧げて読者に伝えたいくらい、性愛が人間にとって重要な営みだと、小川一水さんが考えていたからではないでしょうか。
次巻の感想:
小川一水「天冥の標V 羊と猿と百掬の銀河」─ダダーのノルルスカイン、活躍する - 本やらなんやらの感想置き場
※当ブログの天冥の標の感想一覧はこちら 小川一水「天冥の標」感想記事まとめ - 本やらなんやらの感想置き場