作品情報
- 作者: 山里亮太
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2018/07/06
- メディア: 文庫
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評価
☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)
※以下は本作のネタバレを含むので、注意してください。
書評と感想
天才は、往々にして狂気を有するものである。凡人の集団から抜け出すためには、並々でない努力が必要であり、それが凡人の目には時に狂っているように映る。映画「セッション」はまさにそれを描いた作品であったが、同作を連想するぐらいの狂気を感じたのが本作だった。
本作で描かれる山里さんが南海キャンディーズの山ちゃんとして確固たる地位を築くまでの物語。それは、明るく楽しい話ではなく、暗く息が詰まるものだった。
山里亮太さんの天才性
まず、山里さんの天才性について語ろう。本作で、山里さんは「天才はあきらめた」などという冷めたタイトルを付けているが、山郷さんがある種の天才であることは明らかだ。次から次へと新人が現れてくるお笑い業界。NSCにおける山里さんのお笑いの同期は600人で*1、吉本興業に至っては6000人もの人員(一部タレントを含む)を抱えている*2。そんな状況下でテレビタレントとして定着し、毎日のようにテレビに出る。ラジオなど、その他のメディアへの露出も多い。それがどこまで難しいことか。素人にだってその困難が容易に想像できる。
また、お笑いのスキルに目を向けてみれば、南海キャンディーズとして「ABCお笑い新人グランプリ」(第25回(2004))優秀新人賞、「上方漫才大賞」(第40回(2005))優秀新人賞、「ゴールデンアロー賞」(第43回(2005))新人賞を受賞。M-1では準優勝している。
プライベートでは、蒼井優さんと結婚。
こんな男が、天才でない訳が無い。オードリーの若林さんも、「山里亮太は天才である」とあとがきで断言しているし(255頁)、ナイツの塙宣之さんも山里さんが天才だと著書で述べている*3。僕もそうだと思う。
山里亮太さんの狂気
本作の端々から、山里亮太さんの狂気が感じられる。例えば、山里さんは、かつての自分についてこう語る。
気がつくと身に覚えのないピザを食べた跡が目の前にあった。
食べた記憶は全くないのに、デリバリーピザの空き箱が目の前にある。そんな夜が度々あった。(13頁)
狂っている。間違いなく狂っている。
この事態の原因となったのは、山里さんのお笑いへのストイックさだった。本作で語られる、延々とした努力。例えば、山里さんは上記のピザのシーンでこう語る。「ご飯を食べているときなら仕事のことを考えていいというルールが自分の中で勝手に生まれていたのだ。」(13頁)裏を返せば、そのようなルールが必要とされるくらい、常に仕事=お笑いのことを考え続けていたのだろう。これは、ある種の狂気ではないかと僕は思う。
また、このような山里さんのお笑いに対するストイックさは、猛獣となって他者にも襲いかかってきた。山里さんは南海キャンディーズより前に、2つコンビを組んでいた。山里さんは、その過去の相方2人を何時間も何時間もお笑いについて叱り詰り。挙句の果てには、相方を心身共にボロボロにしてコンビ解散まで追い込んだ。
本人は、自分がクズだったから、暴君だったからこのような対応をしたのだと振り返っているが、それだけではないだろう。そこには、明らかにお笑いに対する真摯さが見え隠れする。できる限りの全てをお笑いに捧げていない男にこんなことは決してできまい。
例えば、山里さんは、相方に自分が選んだお笑いのビデオを数十本見させたことを自らの悪行の1つとしてあげているが(56頁)、 凡人にしてみれば数十本のお笑いのビデオを選ぶだけでも大変な作業である。山里さんが、その数十本を余裕で選べるくらいお笑いを見てきたことが、この何気ないシーンから分かるのである。きっと、それまでには数えきれないほどのお笑いを見て、研究を重ねてきたのだろう。これ以外にも、お笑いのために凄まじい努力を続けてきたのだろう。
本作は、書籍化されている以上、あくまで表に出せるレベルの話しか載っていない。きっと、本書の背後には、収録できなかったもっとストイックなエピソードや、もっと恐ろしいエピソードがあったことだろう。しかし、本書からでも山里さんの狂気の片鱗は十分感じられるし、そのような狂気を有する山里さんが天才であることもまた、伝わってくるのである。
- 作者: 山里亮太
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2018/07/06
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