作品情報
- 作者: 宮下奈都
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2018/02/09
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (21件) を見る
本作は、2016年に本屋大賞を受賞した作品です。
なお、本作は映画化されています。
- 出版社/メーカー: 東宝
- 発売日: 2018/12/19
- メディア: Blu-ray
- この商品を含むブログを見る
評価
☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)
※以下は作品のネタバレを含むので、注意してください。
ネタバレ感想
本作は、自分にとって身近な存在であるピアノにまつわる物語で、興味深いと同時に考えさせられる物語でした。特に、本作について考えを深めていくうちに、評価が二転三転していったのが面白かったです。
初読時の感想ーよくある話?
初読時は、本作は才能や環境に恵まれない外村が、自分の道を見つけ出し成長していく物語として楽しく読むと同時に、どこか物足りなさを感じました。ストーリー展開が、よくあるお話でつまらないように思えてしまったんですよね。
主人公が、持たざる者というのは定番で、それこそ枚挙に暇がありません。なんでもできる主人公よりも、どこか欠けた主人公が成長してい方が、読者の心を打ちやすいからということもあるのでしょう。本作の外村も同様で、調律師を目指す割に、ピアノをきちんと練習した事もなければ、調律師としての高い適正を持っている訳でもありません。そのため、外村の調律師としてのキャリアは苦労の連続でした。
それでも、外村のピアノに対する気持ちは本物です。外村はこう思います。「高校の体育館で板鳥さんが鳴らすピアノを聞いたとき、これがあれば生きていけると思った。」(124頁)これと関連してくるのは、柳の名言です。「才能っていうのはさ、ものすごく好きという気持ちなんじゃないか。」(139頁)
何よりも大事なのは、ピアノをものすごく好きだという気持ち。高い適正はなくとも、その気持ちをもつ外村は「根気よく、一歩一歩、羊と鋼の森を歩け続けられ」、他の人が行くこのできない場所に「たどり着く」ことができる。(264-265頁)
このストーリーは、高い適正よりもピアノを愛する気持ちと努力こそが重要だという事を述べているように、当初感じました。よくある、努力を続ける凡人が天才を打ち負かすという話だと考えていたわけですね。そのため、少し面白みに欠けるなと初読時は感じました。
少し考えた上での感想ー才能よりも努力?
しかしながら、本作を読んで少し考えると、本作は才能よりも努力こそが大事だと主張し、才能を不当に軽視するような嫌な物語のように感じてしまいました。
そう思ったのは、本作における双子の姉妹の扱いです。姉の和音はコツコツとピアノを練習する努力家である一方、妹の由仁は姉よりも努力はしませんが、勝負強いという才能があります。そのため、コンクール等で良い評価を獲得します。(77頁)これはまさに、努力を象徴する姉と才能を象徴する妹という組み合わせですね。そして、調律師として高い適正を持っている訳でないと自認する外村は、当然和音に共感します。
そして、結局、由仁は病気になってピアノが弾けなくなります。そして、それと引き換えのように和音はピアノの演奏家としての実力を急激に向上させます。結局勝ったのは、「努力」を象徴する姉だったという訳ですね。
しかしながら、この考え方はあまり好きではありませんでした。調律でもスポーツでもなんでも、結果こそが何よりも大事です。そして、才能ある人間であっても、時に、才能ない人間と同等もしくはそれ以上の努力を積み重ねます。本作でも、由仁が努力していない訳ではなく、普通にピアノの練習はしています。
それを無視するような形で、単にひたむきに努力しているというだけの理由で、才能ない人間の側を勝たせるのは、才能ある人間を不当に貶めているように思えてしまうのです。才能ない努力を積み重ねた人間が、才能ある人間に勝つのが一番読者にカタルシスをもたらすとしても。
こう考えたため、本作は嫌な物語だと感じました。
最終的な感想ーひたむきな努力の後に優れたプロフェッショナルは生まれる
しかしながら、この読み方は少し誤読していたなと思います。根拠は2つです。1つは、上記の考え方をとると、調律師を目指す由仁はある種の負け組ということになります。しかし、本作のような調律師に対する深い尊敬と洞察が詰まった物語で、調律師を目指す=負け組という図式が採用されているとは思えないことです。
もう1つは、由仁がピアノを弾けなくなり調律師を目指した後、和音と由仁は結婚式の曲を一緒に決めるなど対等な立場で協力しています。本当に努力が才能を打ち負かすという物語を書きたいのであれば、和音に打ち負かされた由仁の姿を描きだすべきですが、本作ではそれとは逆に対等な2人を描いています。
そして、この二人の関係性を考えていて思ったのは、才能か努力かという二分論ではなく、両方を兼ね備えて人は真の実力者になることを本作は示しているのではないかということです。そもそも、双子はそれぞれでは不完全で、二人合わさってこそ完全になるというメタファーを有していると思います。そして、努力の和音と才能の由仁が組み合わさって初めて、才能が開花し、感動的な演奏をすることができると。言い換えれば、ひたむきな努力がなければ、才能があったところで、優れた演奏家や真の実力者にはなり得ないことを本作は表しているように思いました。
この考えに至った時に、部活動の恩師の言葉が蘇りました。「努力をしても勝てるとは限らない。だが、最後まで勝ち抜ける人間は努力した人間だけだ。」スポーツの世界でも、最後まで勝てる人間は、才能があり、かつ一生懸命努力した人間です。しかしながら、必死に努力しなければ、才能があろうがなかろうが、決して最後まで勝つことはできません。
この言葉を思い返したとき、外村の羊と鋼の森を一歩ずつ着実に歩いていくイメージがこれとぴったり重なりました。自分に才能があるかは分からない。しかし、努力をしなければ才能は開花しない。結局、大事なのは、一歩ずつ着実に歩みを進めていくことなのだ。
そのように本作のテーマを感じ取ったとき、それにしっくりくると共に、自分も才能の有無に拘泥するのではなく、自分の歩みを着実に進めていこうという気が湧いてきました。本作は、そのような人を鼓舞させる力強さ持った、優しくて素敵な物語だと思いました。