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アガサ・クリスティー「春にして君を離れ」感想:「恐しさ」と「哀しみ」の原因について

作品情報

評価

☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)


※以下は本作のネタバレを含むので、注意してください。

ネタバレ感想

本作は、ホラーだった。お化けや怪物達が出てこないからこそ、余計にたちが悪く、読む者の心にほの暗い恐ろしさを釘で刻みつけるような作品であるように思う。

アガサ・クリスティーによる作品そのものも素晴らしいが、本書の末尾に収録されている栗本薫さんの解説も凄まじく鋭い。

「なぜ、この本が哀しかったり恐しいと感じるのか?感じる人間がいるのか?いったいこの本のどこが哀しいのか、恐しいのか?」と感じるかどうか、というのは、かなり個人差があるような気がする。私にとってはこれは個人的な意味あいで、正視するに耐えぬほど恐しい本であり、哀しみにみちた本であり、そしてまた、その恐しさと哀しみとで私に勇気を与えてくれた本であった。だが私の夫は(中略)この本にそんなに恐ろしさや哀しみは感じない、という。(327頁)

私の抱いた感想はこの中間である。すなわち、その恐ろしさや哀しみを感じるものではあるものの、それは正視できないほどではない。しかし、ふと思い出すと、得体の知れない恐ろしさが背後から忍び寄ってくるような作品なのだ。

その思いを分析してみると、おそらくこのようになるだろう。私は、私自身というものを完全には信頼できていない。自分の振る舞いそのものが、常に利己的であるとは思っていないが、その点は本作のジョーンと何ら変わりがない。問題は、自覚している部分ではなく、自覚していない部分なのだ。そして、個人的な昔の話であるが、他人を常に慮っているという自分自身の抱いていた自分自身のイメージと、ほんのすぐ側にいた人を十分に慮ることができず傷つけてしまい取り返しのつかないことになってしまった自分自身の実態との致命的なずれを発見した際に、自分の中の一部が、完全に損なわれてしまった。自分は、自分自身にジョーン的な何かを有していた(そして今も有しているかもしれない)という経験を有するが故に、もはや、ジョーンの振る舞いが他人事としては捉えられないのである。悪いことを自覚してやらないというのは当然である。しかし、問題は自覚できない己の醜悪な振る舞いを、どのように防ぐかという点であって、その点はなかなか避けようがないのである。

思うに、栗本さんの夫は、栗林さんが分析しているように「おそらく彼は幸福な育ち方をしているのだ。」ということなのだろう。自分自身のセルフイメージと、自分自身の実態が(悪い意味で)取り返しがつかないほどずれていたという経験がなかったのではないか。「あの時こうしていれば、こうすれば人生の何かが変わったはずだ。自分がもう少し自覚的であったならば。自分が周りをもう少し気遣うことができたならば。あの人を傷つけることがなければ。自分自身が、もっとまともな人間だったならば。こんなことにはならなかったはずだ。」そのような後悔を踏まえて眠れぬ夜を過ごし、自分自身に対する自尊心なり自信が少しづつ削れていく。このような経験をしたことがないからこそ、本書を読んでも恐ろしさや哀しみを感じないのではないかと思う。自分事ではなく、他人事と考えるからこそ、本書を読んでも恐ろしい気持ちや哀しい気持ちにならないのではないかと思う。

ただし、そのような経験も悪いばかりではない。そのような経験をすることで、ある種のショック療法として、少なくとも自分自身は少しだけまともな人間になれたように思う。しかし、本書はそのような形で爽やかに纏めてくれはしない。砂漠で内省しても、結局変わらなかったジョーン。結局、そのような自分自身に自覚できたとしても、変われない人間はいるのだ。仮に、私が、今後このような経験をしたとして、それを糧にすらできないのか。愚かな自身はどこまでも愚かな自身であり続けるしかないのか。仮に今は変われる類の人間だったとしても、将来的にはどうなるか分からない。本書は、自分の無自覚さに対するそんな警鐘を、自分の人生の中で一生鳴らし続けるような作品であるように思った。