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小川一水「天冥の標III アウレーリア一統」─男になった少年と全てを犠牲にした男の物語

作品情報

※第二巻、救世群の感想はこちら。
小川一水「天冥の標II 救世群」─「始まり」の物語 - 本やらなんやらの感想置き場

評価

☆☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)
※以下は本作及び第2巻「救世群」のネタバレを含むので、注意してください。

ネタバレ感想

 僕が一番好きなSFシリーズで、すでに日本のSFを代表する作品群であるとの評価もある天冥の標。今回は、その第3巻であるアウレーリア一統の感想を書いていきます。

 前作は、パンデミックものの近未来SFでしたが、今回はいきなりスペースオペラになりましたね。宇宙海賊って単語が出てきただけでも、SF好きとしてはテンションが上がるってものです。

 その他の単語も一々、僕の中の少年を全力で叩き起こしてきます。「酸素いらず(アンチ・オックス)」「全艦排気!(オープンオールハッチ)」「舷外砲座(フライング・バットレス)」「大気なくとも大地あり!(Lose O2, We Stand)」ってルビ付きの文字を見るだけでも、高ぶりますね。

本作のまとめ─アダムス・アウレーリアの成長の物語

 本作は、雑にまとめるならば、少年だったアダムス・アウレーリアの成長の物語でしたね。

 アダムスは、「可憐で華麗で、馬鹿馬鹿しいほど前向きな正体不明の喧騒」(本書56頁)やら、「子供っぽい感動を片手で拭って威勢よく命じる」(57頁)と散々子供扱いされていました。そんなアダムスの少年性を象徴していたのが、エスレルでした。エスレルは、戦艦としての能力を持つだけでなく、少年のセンスを持つアダムスが付けた、様々な美麗な飾りを有していました。

 それを象徴していたのが、以下のウルヴァーノの言葉です。

お前はもう小生意気なだけのガキじゃねえ。男になりつつある。なったってアウレーリアの血筋だ。綺麗は綺麗のままだろうが、骨は変わる。体の骨じゃねえ、腹ん中の骨だ。それにおまえ自身が気づいたら......(中略)ミス・ディフのこの格好は、我慢がならなくなるだろうよ(269頁)

 この部分は、ミス・ディフ=エスレルの装飾と、アダムスの少年性が密接に関連していることを表しています。

 そんなアダムスの守護者が、ミクマックでした。アダムスは、ミクマックがいることによって、少年のままでいることができたのです。しかし、ミクマックは、物語の途中で死ぬことになり、アダムスは深いショックを受けることになります。

 保護者であり、理想であり、伴侶であり、一番信頼できる相手のミクマック。そんな存在を失ったショックは、想像してもしきれませんでした。

 そんなアダムスを救ったのが、「だから次は、あんたが彼になれ」という、セアキの一言でした。そして、ミクマックが目指したデイム・グレーテル・ジンデルを戦うことで、アダムスはミクマックを乗り越えようとします。

だとすれば、自分はいま、彼が目指したものと戦っているのだ。 彼と同じことをしている。 ならばどうしても負けるわけにはいかなかった。(416-417頁)

かっこいいですよね。ミクマックとの思い出であるとか、全てを背負った上で、確固たる決意をもって強敵と戦う。自分が勝てるかは分からないけれど、負けるわけにはいかないという強い意志を持って。落ち込んでいるアダムスの姿が僕としてもつらかったからこそ、こうやって輝きを取り戻したアダムスを見て、心打たれました。

 そして、アダムスがデイム・グレーテルに勝って、ミクマックを越えることで、アダムスは少年から男になるのです。デイム・グレーテルに勝った方法が、アダムスが設置した美麗な飾り=アダムスの少年性を解き放つことであったことが、これを象徴しています。また、ウルヴァーノの「ち、育っちまいやがった……思ってた通りだ」(429頁)というのも、アダムスが成長したことを示唆していますよね。

 そして、成長したアダムスによって、ドロテア・ワットの戦いに終止符が打たれ、救世群はノイジーラントという強力な守護を得ることになりました。

 本作は、アダムスに焦点を絞っても、少年が一人前の大人になるまでを描いた冒険活劇として、非常に面白かったです。それに、数多くの困難と勝利が得られていて、読んでとてもドキドキしました。

もう一人の主人公─セアキ・ジュノ

 初読で読んで、一番衝撃を受けたのは、セアキ・ジュノでした。物語の主人公の家系であるセアキ家の人間だからこそ、絶対裏切らないだろうと思って読んでいたのですが、見事に足下を救われた感じがしました。セアキは主人公とは別の勢力であるロイズ非分極保険社団の調査員だったのかよと。そして、ラストシーンで、よくアダムスは裏切者のセアキを許したな、とも思いました。アダムスに直接危害を加えた訳ではないとはいえ。

 ですが、今回再読してみて、自分の読み方が間違っていることに気づきました。セアキは、最初から救世群を救うという目的の下行動していたにすぎないのです。物語の終盤でも、「グレアが心配だから守ろうとした」(539頁)と、自らの目的を述べるシーンがあります。そして、セアキは単に詐欺師であったとかそういう訳ではなくて、その目的を達成するためにはロイズの一員となる以外に救世群を救う方法はなかったと考えられるのです。

 そもそもの前提として、この時代の医師団には、それほど力がなかったことが挙げられます。グレアは、アダムスに対しこのように述べています。

「それが私の境地。救世群の境地。囲まれて奪われて突き落とされ叩かれる。苦しくて、痛くて、息もできないでしょう。どうして自分がそんな目に遭うのかって、呪わしいでしょう。人も神も何もかも遠ざけたくなるでしょう。」(中略)「あなただけじゃないのよ。──私たちや、医師団もその道を来たの」(384-385頁)

この部分からもわかるように、「囲まれて奪われて突き落とされ叩かれ、苦しくて、痛くて、息もできない」境地に、医師団も達していたとあります。これは、救世群だけでなく、それを救おうとする医師団もまた、300年の時を経て困難な状況に陥っていたことを表しています。そのため、セアキは医師団以外の選択肢を探して、ロイズの調査員になることで、救世群を救う道を模索したのでしょう。ミクマックに殺すと脅された後でも、「こんなに背中を心配しなくていいねぐらは久しぶりじゃないか」(189-190頁)と言えるくらい、自らを危険にさらしながら。

 そして、物語の終盤明らかになったように、それは最終的に効を奏しました。特に、「救世群連絡会議の自治共同体としての資格を剥奪し、保護観察下に置く」というロイズの計画を、セアキは止めることに成功したのです。(540頁)

 こうやって考えると、セアキ・ジュノは、救世群を救うために全てを犠牲にしてきた高潔な人物であったことが分かります。矢来華奈子(や児玉圭吾)の子孫としてふさわしい*1、情熱と博愛心を持った人物と言えそうです。だからこそ、最終的にアダムスはセアキを許したのでしょう。

 では、そんなセアキの望みは何だったのでしょうか。それが分かるのが、最後にセアキとアダムスが話すシーンです。アダムスはこう言います。「ジュノ、君はあの時、副議長の伝言にかこつけて......」(539頁)そして、516頁で語られた副議長の伝言とは、

戻ってきてほしい、愛してる

というものでした。切ない。自らの姪であるからこそ、決してセアキは愛しているなどとは言えません。だからこそ、副議長の伝言を通じて、自らの気持ちを伝えたのではないでしょうか。グレアの両手を丁寧に取り上げて、瞳の中をのぞきながら。

 そして、この二人の関係性は、救世群のあの二人の関係性とも重なります。セアキの先祖であって医師の児玉圭吾と、救世群のリーダーであった檜沢千茅です。きみが好きだったと最後に自覚する圭吾(409頁)と千茅はすれ違います。千茅はこう振り返りかえったのでした。

今さら何者にも心動かされるようなことはなかった。千茅がもっとも愛した男は、彼女に追いつけないまま、離れて行ってしまったのだ。(天冥の標II 救世群428頁。)

 はたして、セアキ家と救世群をめぐる物語は、最終巻までにどのような展開をみせるのでしょうか。願わくは、幸せな終わりが訪れんことを。

次巻の感想:
小川一水「天冥の標IV 機械じかけの子息たち」 - 本やらなんやらの感想置き場

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