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宇佐見りん「推し、燃ゆ」感想:燃えない私の推し、神、そして信仰の果て。

作品情報

推し、燃ゆ

推し、燃ゆ

本作は第164回芥川賞受賞作です。

評価

☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)


※以下は本作のネタバレを含むので、注意してください。

ネタバレ感想

 私の推しは燃えない。

 ついでに存在もしない。

 生まれてこの方、推しというものが存在したことはない。俳優ならブラッド・ピット、アーティストならPerfumeののっちが好きという、漠然とした好みはあるものの、そこに彼らを推しと呼べるだけの熱量はない。彼らが出ている作品を網羅している訳でもなければ、彼らのプライベートにも興味はない。ましてや、彼らの言葉を逐一追おうなどという発想は、私の世界のどこをひっくり返しても存在しなかった。

 周りに、推しを推す人たちがいなかった訳ではない。今まで、乃木坂や欅坂にハマった友人たちを何人も見てきた。推しの順位投票の結果に一喜一憂したり、握手会では1秒でも長く握手するための方法を真剣に考えたり、バラエティ番組に出演した推しのセリフを全部そらんじたり。そんな彼らの言葉は、私にとって日本語であるけれど日本語ではなく、私と彼らの間には断熱性に優れたガラスが1枚、常に存在した。

 そんな私にとって、本作は非常に面白かった。

推しを推すことが私の生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな。

 背骨という単語を読んだ時、推しを推す友人達の姿が一人一人心に浮かんでは消え、今までの疑問が溶けていった。彼らにとっても推しは背骨だったのだろうと。

 私の中では、私の生活そのものが中心で背骨で、好きな俳優やアーティストはそれを輝かせる蝶々のようなものだった。ひらり、ふらり。見ていて幸せを感じるものの、生活そのものが彼らによって変わる訳ではないし、ふらっとどこかに消えてしまっても私の人生にはさしたる影響を与えないだろう。しかし、推しを推す友人達にとって見れば、あるいは本作の主人公から見れば、初めに推しがあった。そして、その後に生活があるのだろう。

 友人達の姿と本作の主人公を重ね合わせながら、神だな、と思った。推しのための神棚を作り、推しの言行録を作る。推しの言葉は「あたし」とコミュニケーションを取るためのものではなく、解釈されるべき聖言。推しは近くにあれど、基本的にはスクリーンを隔てた上で、遠くから見守ることができるに過ぎない。推しが絶対で、推しの言葉には全て従う。そして、推しは生きる理由を与えてくれる。推しと神の姿がどんどんと重なっていく。

 そんなことを考えながらつらつらと本作を読んでみると、本作は神である推しが人間になるまでを眺めた一人の信者の物語でもあるんだなと感じた。燃えた推しは、神であることを辞めることを決意し、記者会見で指輪を嵌めて人間宣言をする。推しを失った「あたし」と綿棒でできた推しの骨拾い。神は死んだ。しかし、推しと過ごした時間は決して無駄だった訳ではなく、「あたし」に魂の燃料を与えてくれたようだ。

 2足歩行はできなくとも、4足歩行で進んで行こうとする私に、信仰の果てと神を失ってもなお歩みを続けようとする人間の魂の輝きを見た気がした。