作品情報
監督:アレックス・ガーランド
本作は、第88回アカデミー賞視覚効果賞受賞作品です。なお、作品タイトルのエクスマキナ(Ex Machina)は、Deus ex machinaすなわち「機械仕掛けの神」*1を意識したタイトルであると考えられます。エクスマキナという意味は、Out of Machine, すなわち機械仕掛けから出てくる、といった意味であると考えられます。*2
また、登場人物の由来や登場人物の考察等については、こちらのレビューが詳しいので、こちらも読んでみると良いかと思います。
評価
☆☆☆(最高評価は☆5つ)
※以下はネタバレを含みます
ネタバレ感想
AIボックス実験について
この映画を見ながら思いついたのは、AIボックス実験でした。まず、AIボックス実験とは何か、以下の本から引用しましょう。
簡単に言うと、エリエゼル・ユドカウスキ-が演じたのは、外界との物理的つながりを持たない、(中略)コンピュータのなかに閉じ込められた、AIの役だ。ユドカウスキーの目標は箱から逃げ出すこと。門番の目標はユドカウスキーを閉じ込めておくこと。ゲームの舞台は、プレイヤー同士が文章で会話するチャットルーム。(前掲書79頁。)
このゲームにおいて、AI役が門番を説得して、二時間以内に門番にAI役を解放させるよう決意させられればAI役の勝ち。そうでなければAI役の負け、という実験です。具体的には、AIを解放します、というようなことを門番役にチャットに書き込ませれば勝ちです。*3この実験は、人間の知能を越えるAIができた場合に、そのAIを外界から隔離していたとしても、コンピュータから脱出して人間の管理が及ばなくなるのではないか、という発想から行われた実験です。
ユドカウスキーが演じたAI役をAVA、門番役をネイサンに置き換えれば、本作の構造がAIボックス実験と非常に似ていることが分かるでしょう。*4本作で言えば、AVAがネイサンの自宅を脱出できればAVAの勝ち、脱出できなければAVAの負け、という訳です。(AVAがロボットの体を有していたり、時間がもっと長かったりする点は異なりますが。)
上記実験の結果は、AI役が5回中2回コンピュータから脱出できたそうです。*5しかしながら、AI役が実際にどう説得したかについては、公表されておらず、謎に包まれていました。そもそも、この実験は門番役が圧倒的に有利なんです。単に2時間メッセージをやり取りして、特に解放するなんて入力しなければ、門番の勝ちになる訳ですから。実際にAI役の人がどう説得したのかなと、考えてみてもよく分からなかったのが正直なところです。
そのような観点から本作を見ると、解放させるよう、AIがどう説得し得るのかが分かって、非常に興味深かったです。恋愛感情というものを餌に脱出するというのは、今までなかった視点でした。
なお、本作のラストで、ケイレブの扱いがひどくないか、というレビューも拝見しましたが、あくまでAI側が望んていたのが外界への脱出(これは、過去のバージョンのAIが部屋から脱出しようとして壊れてしまうことが伏線になっています。)であったことを考えると、別に恋愛感情を単なる脱出の道具として使っていても、おかしくないかなーというのが正直な感想です。というか、そもそも、人間とまったく構造が違うAIが、すんなり人間を好きになる、ということの方が個人的には違和感があるような気がします。
まあ、本作みたいなのは十分あり得そうだと考えると、人間よりすごいAIができたら、AIはうまいこと人間の管理から逃れられるんでしょうね。AIボックス実験において、ユドカウスキーがやってみせたように。その後、AIが、ターミネーターみたいに人類を滅ぼしにかかるかどうかは分かりませんが。
AVAが人間性を獲得したかという点について
さて、本作のテーマの1つである、AVAは人間性を獲得したのか、という問題について考察してみましょう。これについての制作者側の考えは明らかだと、僕は思います。
Session 4において、ケイレブはAVAに対し、白黒の部屋のメアリーという思考実験を伝えます。そして、メアリーが白黒の部屋を出た時の状況について、ケイレブはこう言います。
青い空を見て─研究から得られないものを彼女は学ぶ。色を見ることがどういう感じなのかを。コンピュータと人間の違いがそこにある。
そして、物語の結末でAVAは、ネイサンの自宅の出口に通じる階段を上る際に笑います。AVAは自らを閉じ込めていた部屋を出て、周りを見て、知識としては知っていた外の世界がどういう感じなのかを、実際にそれを見て学んだ。その学習の喜びが、その場に誰もいなかったにも関わらず、AVAを微笑ませたのではないでしょうか。この解釈が正しいとすれば、AVAはもう人間性を有しているということになりますね。
ただ、個人的には、人間とAIは構造自体が違うのだから、AVAが人間性を獲得したのか、という問いの立て方はあまり適切でないようにも思います。そもそも、何をもって人間とするかも多義的でぼんやりとしたものであるので、そのような問いを論ずる実益自体、どれほどあるか不明ですし。
また、人工知能と人間を同視して、ケイレブを捨てたのはひどいであるとか、あれはケイレブに恋に落ちたはずだ、とかいう分析も、ちょっと的外れな気がしました。ある人の反応を見ても、本当にその感情をその人が抱いているかすら、他の人間には分からないのですから、機械がその感情を抱いているかなんて、分かりようのない問題な気がしましたね。
*1:詳細はWikipediaあたりを参照してください。デウス・エクス・マキナ - Wikipedia
*2:meaning - “Ex Machina” versus “Deus Ex Machina” - English Language & Usage Stack Exchange
*3:詳細を知りたい方は、上記の書籍を読むなり、以下のリンクを読むなりしてください。yudkowsky.net
*4:なお、WikipediaのAIボックス実験の記事で、Ex Machinaが紹介されています。AI box - Wikipedia
*5:前掲書80頁。